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この年末で一度ブログを閉じたいと思います。
理由はいくつかあるのですが、
体調やその他のことから、しばらくパソコンと離れた時間の使い方をしたいと思ったのが一番の理由です。
振り返ってみるとずいぶん長く続けてきたこのブログ。
時に独り言のような、時に愚痴のような、またある時には読んでくださっている誰かに語るような、まとまりもスタイルもないまさに雑記帳のようなブログでしたが、自分の気持ちを表現したり、考えをまとめたりすることのできる大切な「場所」だったような気がします。
いつか心身が再び充電できて、頭の中からたくさんの言葉がこぼれ出してくるようになったら、広いネットの片隅でまた小さな場所を作りたいなと思っています。
半年先か一年先か、もっと先かはわかりませんが、その場所の名は、また「アンナの毎日」に
なるかもしれません(気に入っているタイトルなので・笑)。
今までずっとそうだったように今日もfrdは一心に勉強机に向かい、まるは私の傍らで日向ぼっこをしながら気持ち良さそうに寝ています。
何も変わらず、そしてたくさんのことが変わったこの数年でした。
変化したことを意味のあることにしていくために、これからも変わらず一日一日を感謝しながら
きちんと過ごして行きたいと思っています。
首の凝りがひどくて、この程度の文を打つのも2日がかりだったので、少し時間がかかるかもしれませんが、リンクさせて頂いている方たちのところへは後日順番にご挨拶に伺いますね。
申し訳ありませんが、このブログのリンクもはずしていただけるようお願いします。
仲良くしてくださってありがとうございました。
そして時々気にかけて覗いてくださったり、温かいコメントをくださった方々、
本当にありがとうございました。
2008年、皆さんの望みが叶う年になりますように。
いつかまた。
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今年も頂きました。梅漬けbyぴゆどん作成。
たくさん作ったうちのおすそわけだと思っていたら、なんと「アンナ用に漬けておいた」そうで、
大感激。ジップロックの大判一杯に入っていました。
柔らかくて、去年頂いたのより更に美味しくなっていたように思うわ。添加物ももちろんなしで安心して食べられるし、とても嬉しい。ありがとう~。

お友達のよーこちゃんは、忙しく仕事をこなしながら某・福祉系の難しい試験に挑戦しているのだけど、先日の模試にて、受験者数1万人中、なんと90位。全体の上位1パーセント枠で堂々のA判定だったとのこと。立派!
1パーセントなんていう数字はfrdの試験でもいつも意識させられる数字。
その枠の狭さについ悲観的に考えてしまう私だけど、そういう数字って、努力して力のついている人には当然あり得る数字なのよね。励まされました。よーこちゃん、ありがとう!


月々のおやつのエンゲル係数(?)が高めなので、反省してせっせと白玉作り(笑)。
こんなに簡単で美味しくてカロリー低めで、白玉最高です。
でもfrdはジャンキーなお菓子の方が好き。

frdが起き出す前に玄関と車庫の前と道路にかけての雪かきを30分。
雪が湿っぽくて重く、汗びっしょりで手の筋肉がぶるぶるになりました。
体調が少し上向いてきたので、多少の肩凝りや腰痛は気づかない振りして(笑)
せっせと肉体労働です。

「時間を無駄にしない」というフレーズでどうも自分で自分を脅迫してしまうので、
「生きた時間の使い方をする」ことを最近ちょっと意識しています。
そうすると、ちょっと一休みしてソファにゴロンするのも、お怠けではなくて体を休めてそのあと一生懸命働くためなので、気持ちよくお昼寝できたりします。

そんなややこしいこと考えなくても、まるはいつも幸せです。

アップルリング。天然酵母が膨らむのにすごーく時間がかかってしまいようやく出来上がったのに、frdとあっという間に食べてしまって、何だかちょっと空しい(笑)。シナモンをもうちょっときかせたらよかったな。

NHKドラマ「ひとがた流し」を楽しみに観ている。でもあと一回で終わり。
新聞連載された原作を読んでいて好きだった小説。
たった3回の連続に凝縮されたドラマでは、毎日少しずつ登場人物たちと一緒に同じようなペースで出来事を経験していくような感覚で読む連載小説の、時間の流れの中にたゆたう雰囲気のようなものを味わうのは難しいのだろうけど、
キャスティングもいいし、原作の良さを壊していないなと思う。
主人公・千波の、
自分が生きていて欲しい、と切実に願う人がいてくれる限り、自分は生きていける、
というセリフ。
生きて欲しいと望む、ではなく、切実に願う、という思いの強さ。
友人関係でお互いにそこまで思い遣れる関係を築けることはもちろん幸せなことだと思うけど、身内に限って考えると、夫婦2人の自分たちが年齢を経るということは、そういうふうに願ってくれる人がどんどん少なくなっていくということ。
そんなことを考えると時々ふっと底なしの淋しさを感じてしまうことがある。
身内2人を見送ったばかりということもあるのだろうけど。
でも、そう感じながらもすぐにまた思うのは、
かつて、自分が生きていて欲しい、と切実に願ってくれていた人がいた、
という確かな事実、そしてその人たちとの温かい思い出、
そういうものがある限り、きっと私は生きていけるんだろう。
先日注文したCDがアマゾンから届いた。
同じ旋律の繰り返しなので、「曲を聴く」という構えではなく、
旋律に心を委ねる感覚でずーっと流していると、心が透明になって、
そしてそして
女性ホルモンがじわじわと出てくる感じがする(あくまで私の場合ですが・笑)。
私の中ではエンヤと同じカテゴリーに入るかな。たぶんずっと聴き続けるでしょう。
あとケルティック・ハープが使われていたのだけど、普通のオーケストラで使われるハープと違ってこのハープは少し金属的な音。古くて懐かしいような感じがして○。

友人のミンから電話。
彼女はとても苦労して今の職を得て頑張っているのだけど、どうしてだか根も葉もないうわさを広められて、それは彼女自身「おかしくって馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうような」内容なのだけど、そうはいっても心はコントロールの範囲外だから、「ときどき発作的に自殺を真剣に考えてしまう」ほど追い込まれてしまうとのことで、びっくりした。
病院にもかかっているし、職場を離れると自殺願望は治まるらしいので、
「いよいよになったら異動願いを出すことも視野に入れながら、とにかく職場以外の世界や居場所を複数持っている方がいいと思う」
くらいのことしか言えなかった。すごく心配。

まるも心配ね